大掃除

大掃除
間もなく正月。ずっと「忙しい」を口実にさんざ散らかし続けた部屋の整理をしている。そんな中で出てきた、あの子の注射済票。

病院に行く時しか車に乗せることはないのに、ドアを全開にしてGO!と合図したら、あの子は素直に後部座席へ。

移動中、病院に近づくにつれてあの子の息は荒くなり、ガラスもドアの取っ手もよだれがベッタリ。

到着して車を降りたら、やっぱりそれが病院の真ん前で「しもた〜!(またか〜!)」って思うんだろうか。玄関には入ろうとしない。っていうか、ものすごい抵抗。それを無理やり引き摺りこんで・・・。
院内に入ってもしゃかしゃか抵抗を続けるんだけど、床はつるつる加工で無駄な抵抗。そんなこんなで往生際悪いくせに、診察台の上に載せられた途端に「まな板の上の鯉」状態。観念したのかヴーともキャインとも言わず、素直に注射を受ける。
(でもほんと不思議なことに、必死こいて抵抗する割には、ぜんぜん威嚇も鳴き声もあげなかった。)

あの子の記憶上、車に乗る機会なんて病院行くコト以外にはない筈なのに、それでもあの子は車に乗ること自体には抵抗しなかった。毎朝車で出かける飼い主がうらやましくて、「今度こそいいトコ連れてけ♪」なんて思っていたんだろうか。

毎度毎度、飼い主はそんな期待を裏切り続けてきたんだろうね。
でももう、あの痛〜い注射もしなくてよくなったよ。

あれから2ヶ月

相変わらず何事もなかったかのように時間は流れていて、抗っても一緒に流されていく自分が居て、日々あの子のいない寂しさが薄れていくのを実感している。

あの時自分は何を思っていたろう。

水も口にしなくなった異変を目のあたりにしながら家を出て、仕事中は気もそぞろ。
誰にも看取ってもらえない間に、あの子はいなくなってしまって。

仕事を終えて職場を出た時には雨がしとしと降っていて、帰宅してあの子に触れたのは今くらいの時間だったろうか。
冷たく、硬く、重たくなってて。

『あはれな一個の生命を正視する時、世界はただこれを遠巻きにする。』
高村光太郎の詩の一節が、頭のなかをぐるぐる回り続けて。

まだ鮮明にあの時の光景は覚えてる。
覚えているんだけれども、今はあの時ほどのつらさを感じなくなってしまってる。

かっぱえびせん

かっぱえびせん
散歩なのか、毎日きまって10時過ぎくらいにうちの前を通り過ぎていく老夫婦がいて、じぃちゃんがそのたんびこの子にあげてたのがかっぱえびせん1本。

    

ほんのちょっとだけ我が家の敷地に足を踏み入れ、「おはよう」とか声をかけながら1本だけひょいっ!って投げる。

この子はそれがやっとこありつけた食べ物であるかのように、死にものぐるいになって地に落ちたそれを慌て喰いする。
シャカシャカシャカ!って爪音たてて、それはもうすごい慌てぶり。

ばあちゃんの方はそれをにっこりしながら見つめてて。

「何か、ウチがろくに餌をあげてないみたいやんか。」小っぱずかしかった。

平成7年春に前の会社を辞めて、再就職のため自宅で勉強してた頃のこと。
ふと思い出したので、当時たらふく食べるのを夢見てたであろうかっぱえびせんをお供え。

散歩道

散歩道
いまはもう通れなくなってる散歩道。

出発直後は嬉しさ余って猛ダッシュ!でも電柱に辿り着くなり急停止!
そんでクンクン、ジャバババっておしっこかけて、それが終わるとまた次の電柱目掛けて猛ダッシュ。
しばらくこれの繰り返し。
飼い主の威厳を見せてやろうと平静を装っていたけれど、正直あれはきつかった。

いくらか走れば気が済むのか、後はスタスタ・スタスタ、軽快なペースに。
尻尾はピン!と天を指し、後ろから見てるとまるでススキの穂のよう。それを嬉しそうに左右にフリフリ。
尻尾に生えた長い毛は、足早なテンポにあわせ上下にもフワリフワリと揺れて、それは本当に心地よく、なんとも癒される光景だった。

途中通りかかるグランド。リードから解放され自由に駆け回る散歩友達を見て、我も!って余程うらやましいのか駆け寄ってこうとしてたけれど、君はひと回りもふた回りも大きな身体だもの、喧嘩になったら、いや、悪気がなくても、じゃれるだけでも、あっちの犬は怪我するかも知れない。
そうでなくても、君はそのまま戻って来てくれないかも知れない。迷い犬にでもなろうもんなら、犬相の悪い君だもの、ブラブラしてるとこを通報されて、何処かに連れ去られてしまうかも知れない。
そんな恐れを存分に抱いて、馬鹿な飼い主は君を放すことができなかった。あれはやっぱり、不満だったろうね。

時にすんごい形相で吠え掛かってくる犬に出遭うことがあったけど、君はそれを気にもかける様子もなく平然と通り過ぎる。向こうの飼い主は「お前があんな大きな犬に敵うか!」って諭したりなんかして、すごく誇らしい気持ちになった。
そういえば君はどんな犬に対しても、己から喧嘩を売るような真似は決してしなかった。

犬相は悪いくせに。

10月23日

10月23日
あれからもう、ひと月が経ってしまった。

でも、一度も夢に出てこない。

いったいドコにいるのか。

亡くした者

亡くした者
想いが縛るのはいけないことだ。

気が遠くなるほどの長い時間。14年間。
せっかく鎖が解かれ、檻からも放たれ、肉体さえも脱ぎ去ったというのに、未だ繋ぎ止めておこうとしている馬鹿な飼い主の想い。

自分では到底耐え切れるはずなどない時間縛り続けておきながら、この子が生きていた間、そのかけがえのない命を心から本当にいとおしんできたか?

いたわってきたか?


そんな問いに、はいとは答えられないくせに。
いま悲しんでいるといっても、振り返ってみればその資格さえも持たないくせに。

新仏供養

新仏供養
昨日、わんこの火葬をお願いした動愛園での合同法要があった。
お骨と一緒に車に乗って、行橋霊園まで。

思ったより遠くて、新仏供養の時間帯には到着できずじまい。
到着したらしたで、駐車場はいっぱいでおろおろ・・・。あれだけ火葬の時に注意されていたのに。

もうグダグダ。


【動愛園】

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時間

時間の経過が、悲しみを和らげてくれるという。

そんなことは、小5の夏にお父んが亡くなってから百も承知。

でも、時間がもたらすのは『忘却』という負の一面もあるはずで、今の自分にとってはこれが脅威だ。

忘れたくないことと、忘れてはならないこと、少しずつでも残していかなればと思う。


10月12日(日)午後。暑さも和らいだので2ヶ月ぶりに外泊(キャンプ参加)して帰宅。
よっこらっしょ〜ってな感じに少しけだるさそうながらも、立ちあがってぷら〜んぷら〜ん(元気はイマイチだけど)シッポ振って、「お帰り」って迎えてくれた。


10月14日(火)夜。仕事から帰って、いつものとおり深夜の散歩。
散歩と言っても、夏あたりからは歩く体力さえ持たないので、家のごく近隣をゆっくり歩く程度なんだけれど。
ヨタヨタしながらも、おしっことうんちを済ませ、帰宅してからご飯。
いつもの量を、いつもより時間をかけながら完食。

でも、いつもと違って玄関先まで上がって来ない。
「あれ、いつもと違う?」と思いながらも、自分の夕食もあって目を離す。
それから30分くらい経ったろうか、ふと目をやるとまんまのポーズ。ずっと立ってたってこと。
嫌な感じがした。
駆け寄って「どうしたん?」尋ねてもうんとも言ってくれず。腰に手をあてて(半ば強引に)横にならせた。



いま思えばだけれどこの時、この子はいちど横になれば最後、二度と自分の力では立っていることさえできなくなるってことを知っていて、ずっと立ち続けていようとしてたのかも知れない。

ペットロス

ペットロス
この子が居なくなってしまって、もう2週間以上になる。

それまで早起きなんて全然苦にならなかったのに、毎朝体がだるくて起きるのがつらくなった。
仕事は相変わらず積み上がっているけど、なんかやる気も起きにくくなった。
休日友人達と呑んでいたけど、悪酔いしてささいな事に腹を立て、つい相手の胸ぐらを掴んでしまった。

確かに、この子は日頃から自分だけが面倒みてるようなもんだったけど、まるで犬なんて初めから居なかったかのように、玄関の(お線香焚く)蚊取線香皿を片付けてしまったりするお母んに、苛々するようになった。

自分、どうなってしまったんだろ。


"ペットロス症候群"のキーワードでググってみた。

ペットロス症候群て、ペットを見境なく溺愛してるような人間だけに起こるものだと思っていたのだけれど、いろいろなサイト読んでて少し気が楽になった。


【ペットロスについて】

【ペットロス症候群】

【ペットロス症候群について】

火葬

火葬
昨日わんこの火葬を行って、お骨といっしょに帰ってきた。

寝たきり状態になってから、場所を変え向きを変えとするには決して軽くなかった23kgの体。
お骨だけとなった後の軽さのギャップが、寂しさに拍車をかける。

今後どうすべきなのか分からないけど、亡き父の仏壇のそばで線香を焚く。

それにしてもこの1週間は長かった。
休むに休めず、23日になくなったわんこの遺体を約2日間も放置してしまう始末。
休まなかったのに、仕事の成果は散々。

まったくもって、馬鹿な飼い主だ。